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シリーズ 道徳の系譜

 ルサンチマンの哲学


著者 : 永井 均

河出書房新社 東京 1997
定価 1300円(税別)










 難しかった。哲学は私の手に負えない。それではなぜこの本を読んだかというと、001で紹介した「歴史認識を乗り越える」の中で引用されていたからだ。

 小倉紀蔵は、「永井均によるニーチェ解説によれば『キリスト教的ルサンチマンは、反感や憎悪をそのまま愛と同情にひっくり返すことによって復讐を行う独特の装置』であり、『この装置を使うと、憎むべき敵はそのまま”可哀そうな”人に転化』し、『だから、彼らの”愛”の本質は実は”軽蔑”』なのである。 この「愛」とは、私が<ゆるし>といったものと同じである」という。

 それでは永井均を読んでみようと思ったのだ。でも、私には大変難解だったので、私の気に入った文言だけを以下に紹介する。

 「定義的にいうと、ルサンチマンとは現実の行為によって反撃することが不可能なとき、想像上の復讐によってその埋め合わせをしようとする者が心に抱き続ける反復感情のことだ」

 「狐と葡萄の寓話でいうと・・・狐がどんなに葡萄を恨んだとしても・・・『あれは酸っぱい葡萄だったのだ』と自分に言い聞かせて自分をごまかしたとしても・・・ルサンチマンとはいえない・・・狐の中に『甘いものを食べない生き方こそがよい生き方だ』といった自己を正当化するための転倒した価値意識が生まれたとき、狐ははじめて、ニーチェが問題にする意味でルサンチマンに陥ったといえます。」

 「ニーチェのルサンチマン概念の特徴は、それが価値転倒と結びつくところにある。」

 「ルサンチマンとは、反感と憎悪を愛と同情に転換する原動力であった。この機制の下では、憎むべき敵はそのまま『可哀そうな』人々に転化する。だから、その『愛』の本質は軽蔑なのだ。『敵を愛する』という倫理には、初発から復讐の論理が宿っていた。」

 「仏教は共同体の価値を単に無化するが、キリスト教はそれを敢えて転倒する。そこに両宗教の成熟度の違いがある、と少なくともニーチェは考えていたのだ。」

 「ルサンチマンを克服する唯一の方法は忘却である。・・・忘却こそもっとも高貴な行為である。だが、それは行為ではない。誰も意志によって忘却を引き起こすことはできないからだ。」


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