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悲素


著  者 : 帚木蓬生(ははきぎ ほうせい)
出版社 : 新潮社 東京 2015
定  価 : 本体2000 円(税別)










 本書は1998年に発生した和歌山の毒物カレー事件を題材にした小説である。某大学教授が患者の症状から原因物質は砒素であろうと鑑定するプロセスを描いたものである。主人公は中毒学を専門とするこの大学教授である。

 事件は毒物カレー事件から犯人による保険金詐欺にまでさかのぼって解明されるが、いずれも毒物として砒素が使われたことが推測された。カレー事件の発生から10年もさかのぼって、犯人周辺にいた患者が発掘され、カルテに記された症状から原因物質をめぐって教授の専門知識が発揮されることになる。

 また、外国の事例も含む砒素の他にタリウムやサリン、SMONによる事件についても記述されていて興味を引く。

 巻末には「本作は書き下ろし小説です」とわざわざ書かれている。ストーリー展開は「小説」かも知れないが、取り扱った題材は実際の事件であろうし、毒物の中毒症状については現実の医学的知見を反映したものと思う。というのは、本書には毒物による中毒の症状に関するおびただしい数の専門文献が参考文献として掲げられているからである。

 砒素、タリウム、サリンの毒性を知りたければ、本書を読めばだいたい分かるくらいの記述の仕方である。帯に「現役医師の著者にしか書きえない」とされた所以であろう。

 しかし、このことが私には大変鬱陶しいものとなった。

 序盤まではストーリーがどう展開するのか興味津々であったが、しかし、読んでも読んでも次々に出てくる毒物被害の患者の症状解説ばかりで、私にそう思えた、犯人や被害者の心の動きについては、極めて突っ込みが弱い。作者の帚木は精神科医と聞いていたので、いっそうこの思いが強い。

 本書はまるで毒物症状の解説書のようであった。これが本書の主題であると思う。毒物を使って何かをしようとしている人には大変いい参考書となるだろう。

 私が精神科医の筆者に期待した犯人の精神病理に関する描写が最終章の「33 控訴審と上告審」にやっと少し出てきた。
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 控訴審判決の一大特徴は、カレー事件で被告が犯行に及んだ心情について、一歩踏み込んだ指弾をしている点にある。具体的な動機は不明ながらも、思いつきで即座に砒素を混入する心性が被告人に形成されていたと見る。
 その理由のひとつは、過去の犯罪事実から判断して、砒素によって人の命を奪うことに対する抵抗感の鈍磨が挙げられる。第二が、砒素を混入させても決して発覚しないという、反社会的、反道徳的な自信である。三つ目が、偶発的な機会をとらえて、すかさず砒素を入れるという短絡性である。・・・・・
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 毒を手にした人間は、知らず知らずのうちに万能感を獲得する。万能感とともに、神の座に昇りつめた錯覚に陥る。こうなると、毒の使用はもはや一回ではやめられない。ましてその毒が誰も知らない秘毒となれば、なおさらである。こうして毒の行使がまた次の行為を呼ぶ、やめられない嗜癖の病態に達する。
 そうなると、毒を盛っているときだけが生きている実感を味わえる。その先の帰結がどうなるかについては、もはや思念が及ばない。毒を盛る行為自体が目的化して、自走状態に陥るのだ。
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 嗜癖状態にあると、人はそれ以外の事柄には無感動になる。カレー事件が発生しているのを尻目に、カラオケ喫茶にいた真由美が無表情でいたのは、快感の開放後、アパシー状態になっていた事実を表している。
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 「小説」なのだからもっと早くあれこれ、犯人の心理状態を推察し、読者を翻弄してほしかった。主人公が中毒学を専門とする大学教授だったからこれは難しかったのかしら。

 さて、気になる記述が一カ所あった。カレーに混入された毒物を推定する段階で放射線科医に腹部の撮影で「砒素は金属ですよね。それなら当然、X線に写るはずです」と言わせている。カレーに混入された「毒物」が固形の金属塊の砒素で、それが胃にまで残っていれば別だが、市販品の「砒素」は粉末ではないかと思う。それは煮えたぎったカレーの中では水溶性の亜砒酸になっているのではないか。別の場面では「カレーに溶けた亜砒酸」といっている。本筋には影響はないことだが、気になった。
 


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