|
紙ふうせん : 信念の慈善家、街の誇りに |
炭鉱でなした富を東京府美術館(現東京都美術館)建設などに寄付した若松の石炭商、佐藤慶太郎(1868〜1940年)。「築いた財は社会からの贈り物」という信念を実践した「その生き方に学びたい」と、西之原鉄也若松区長ら北九州市の有志が顕彰活動を始めている。 佐藤慶太郎は現在の同市八幡西区本城生まれ。東京の大学を卒業後、若松で石炭商の店員になった。41歳で炭鉱王の貝島家から小さな炭鉱を引き取り成功させた。 だが私生活は質素だったという。目指したのはニューヨーク・カーネギーホールに名を残す慈善家カーネギー。奨学金や病院への寄付などを続けた。東京府美術館ができたのも100万円を寄付したから。現在なら30億円を超す額だ。 昨春、都美術館の学芸員だった斉藤泰嘉さんが「佐藤慶太郎伝」を出版、佐藤慶太郎に改めて光を当てた。西之原区長はそれを読み、地元企業やゆかりの人たちに呼びかけ、胸像建設実行委員会を昨年11月に設立した。目標は都美が保管する佐藤慶太郎の胸像(朝倉文夫作)の複製を若松区高塔山のふもとにある佐藤公園(佐藤宅跡)に設置すること。 不況にもかかわらず、区内外から寄付金560万円が集まった。除幕式は公園のアジサイ数千株が見ごろを迎える14日。街の誇りがまた一つ、増える。【長谷川容子】 毎日新聞 2009年6月11日 西部朝刊 http://mainichi.jp/seibu/shakai/news/20090611ddp041070009000c.html |
|
佐藤慶太郎像:若松で除幕 炭鉱の富で社会貢献 /福岡 |
炭鉱経営で築いた富を、東京府美術館(現東京都美術館)や病院建設に寄付した佐藤慶太郎(1868〜1940)の胸像が若松区の邸宅跡「佐藤公園」に建てられ、14日、除幕式があった。 胸像は、私財を社会貢献のために使い続けた慶太郎の生き方を広く知ってほしいと地元有志が計画。昨年11月、実行委員会が発足し、準備を進めていた。 不況にもかかわらず80の法人や個人から約560万円が寄せられ都美術館が保管する朝倉文夫作のブロンズ像の複製が、公園の入り口近くに建てられた。 除幕式には、実行委の岡部秀年会長や慶太郎の孫の佐藤浩さん、北九州市の北橋健治市長のほか、慶太郎が晩年移り住んだ大分県別府市の浜田博市長ら約150人が出席。その後、若松市民会館で、胸像設置のきっかけとなった「佐藤慶太郎伝」の著者、斉藤泰嘉筑波大教授(57)が記念講演。約700人を前に「死後70年たってなお、このように胸像が建つ慶太郎は幸せな人。像には一切寄付者の名前がない。無名の篤志事業(フィランソロピー)を実践した彼の生き方が、地元に根付いていると思う」と語りかけた。 宮若市竜徳、小森良一さん(87)は「炭鉱の技術者として働いていたので、どんな人物なのか興味があった。若松には当時、石炭で財をなした人がたくさんいたけれど、すごい人ですね」と話していた。【長谷川容子】 毎日新聞 2009年6月16日 地方版 〔北九州版〕 http://mainichi.jp/area/fukuoka/news/20090616ddlk40040427000c.html |
|